私たちの本体である魂は 宇宙由来。
宇宙(創造主・神)は 私たちの生みの親。
私たちに 完全な自由意志を
与えてくれています。
宇宙(創造主・神)は 無条件の愛 そのものです。
(ご参考:私が考えるスピリチュアル)
その宇宙(創造主・神)が
本当に「罰」を与えるのでしょうか。
もしそうだとすると
宇宙(創造主・神)が 罰とみなすものは何?
罰とする 基準やルールは何?
その基準やルールは 人種や民族・宗教を越え
人間であれば 誰にでも平等に
適用されているはずでは?
自由意志を与えられている私たちが
コントロールされる存在?…
この仮定をもとに 深く追求していくと
矛盾や不自然さを感じます。
「これから罰を与える」
「これは罰だ」と
言われるわけでもない。
ではなぜ
身に降りかかった災いを
「神罰」ととらえるのか。
その答えは 心の中にあります。
「神罰」かどうかを決めているのは
宇宙(創造主・神)ではなく 自分自身です。
自分が「罰が当たる」と思えば、
災いとみえる出来事を「神罰」と解釈します。
自分は「神罰」が下される存在。
だから こうなったんだ…と解釈する。
神がつくった罰は 受けなければならない。
だから 状況の悪化は
受け入れなければならない…と解釈する。
そう思い続け
心の波動が低い状態が続くと
その波動にあった出来事(不幸)が
新たに 引き寄せられてしまいます。
例えば
病気を 神罰だと解釈すると
神がつくったと 解釈した病気を
全面的に受ける心になります。
その結果
その心の力によって
私たちに備わっている 自然治癒力が弱くなり
病気の治癒が遅れるか
病状の悪化につながります。
では
「罰」と見える出来事は なぜ起こるのか?
それは 原因と結果(因果の法則)です。
長くなるので 続きはコチラ ⇓
神罰は本当にある?②~原因と結果~
井手仁人美が
より良い人生にしたくて 学んだことを
あなたにシェアします。
参考になると 嬉しいです!(^^)!